横浜青葉区の神鳥前川神社にお参りしてきました。
6月の夏越の大祓いには間に合いませんでしたが、何とか滑り込みセーフ
晴れたり、暴風雨だったり、小雨になったり・・・・・
九州や、岐阜の方では大変な水害に見舞われている中、こちら横浜もとても不安定な天候。
2020年が穏やかに過ごせるよう、しっかりお参りしてきました。
本当に波乱万丈な2020年です。
お祀りしてある神様は
日本武尊(やまとたけるのみこと)
ヤマトタケル(生年不詳 – 景行天皇43年)は、記紀などに伝わる古代日本の皇族(王族)。
『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される[注 1]。
第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。
弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)
弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は、倭建命(やまとたけるのみこと)の物語に登場する女神で、妻として夫への愛を貫き、夫の使命達成のため自分の命を海の神に捧げ入水した。
名前の「橘」は、一種の霊樹(神聖な力より生え出でた樹木)であり、常緑樹で冬でも枯れずに実をつけることから、強い生命力の象徴とされる。そうした生命力の象徴と海神(わたつみのかみ)に仕える巫女的な性格が、戦士としての倭建命の力をより強めたと考えることができる。
また、弟橘比売命が海の神に身を捧げるという伝承は、海神や水神を祀る巫女が入水して神の妻となるという古代信仰を反映したものである。入水したのち、弟橘比売命が神に挿していた櫛が近くの海岸に流れ着き、それを拾った土地の人々が、御陵ををつくり手厚く葬った。
伊耶那岐命(いざなぎのみこと)
記紀などに見える神。国生みを行なった男神。神代七代の最後の神。「古事記」によれば、天神の命で、伊邪那美命とともに大八洲(おおやしま)の国をはじめ、山川草木や万物を司る神々を生み、最後に天照大神、月読命(つくよみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)を生んで、治めさせる国々を定めた。「日本書紀」本文では天神の命はなく、国生み・神生みは二神の意志による。
伊耶那美命(いざなみのみこと)
天地開闢において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた。イザナギとは夫婦となり[4]、オノゴロ島におりたち、国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。その中には淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。
火の神軻遇突智(迦具土神・カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。そして、カグツチはイザナギに殺された。
亡骸は、『古事記』によれば出雲と伯伎(伯耆)の境の比婆山(現在の中国地方にある島根県安来市伯太町[5])に、『日本書紀』の一書によれば紀伊の熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社[6])に葬られたという。
死後、イザナミは自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを追いかける。しかし、黄泉国と葦原中津国(地上)の間の黄泉路において葦原中国とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナミに対してイザナギが大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。イザナミは閉ざされた大岩の向こうの夫にむかって「愛しい人よ、こんなひどいことをするなら私は1日に1000の人間を殺すでしょう」と叫ぶ。イザナギは「愛しい人よ、それなら私は産屋を建てて1日に1500の子どもを産ませよう」と返した。そしてイザナミとイザナギは離縁した。
この後、イザナミは黄泉の主宰神となり、黄泉津大神、道敷大神と呼ばれるようになった。
立派な御朱印
大祓行事は六月と十二月の晦日に執り行われ、半年毎に行われるので二季の祓えともいわれます。特に六月の大祓を『夏越(なごし)の大祓』といい、神様の心を和めるからとも、夏の名を越して災いを祓うからだともいわれています。
大祓は、私達が日常生活を送る上で知らず知らずのうちに触れる罪や穢れを『人形(ヒトガタ)』に移し、祓い清め、無病息災を祈り、茅の輪をくぐることによって(胎児が母胎から生まれ出ることを表すともいわれている)新しく生まれ変わった心持ちで、神様のご加護を戴きながら、新しい半年間を送るという、禊(みそぎ)祓(はらい)の信仰に基づく神道儀礼です。
また神代の昔、蘇民将来という人が、旅の途中の武塔神(素戔嗚尊スサノオノミコト)に一夜の宿を提供したところ「もしも、後世に悪疫が流行った際には蘇民将来の子孫であると言って、茅の輪を腰につけておればそれを免れるであろう」と教えられたという。この故事に基づき、現在でも全国の神社で茅の輪くぐりに代表される多くの行事が執り行われています。
当神社では恒例により、六月と十二月の年二回、大祓を斎行致しておりますが、特に水無月(夏越しの大祓)は古式にのっとり、高さ三メートル近い「茅の輪」をくぐり、火起 こし(ろくろを廻す古代の火起こし)の斎火(いみび)で厄を祓い清める神事を執り行います。これは、全ての災いや罪・汚れを『ヒトガタ』や『クルマガタ』に移し、祓い清めることで、病気にかからず、災難や厄難を祓い除き、元気にこの夏を越せるようにと祈願するおまつりで、古くから伝わる神事です。 特に、厄年(男性25・42・61 女性19・33・37)の方に限らず、家族の平穏無事や益々の幸福の御祈願を兼ね、是非家族お揃いでご参拝を下さい。