【プロフィール】人生の棚卸5(父の転勤で大阪へ)

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時代的にも受験戦争の渦の中に巻き込まれた中学高校時代でした。

 

相当の無理をして(学力的に)中学入試を突破して入った6年間一貫教育の私学でしたが、私が、中3になった時、父の大阪への転勤となりました。

 

私の通っていた学校は、進学校だったので特別なカリキュラムで授業は進められており、6年間で習得するものを5年間でこなし、最後の一年は大学受験対策…という学校でした。

 

つまり「高校受験」は視野にない進み具合だったので、今更、高校受験なんて考えられない。

 

当時、母方の祖父母との同居だったので、両親と弟だけが大阪に行き、私はそのまま広島に残る。

 

という選択は、いとも簡単に、問題なく決まりました。

 

中3というと、親と一緒に居る事より友達をわかれる方が嫌だったし、通っていた学校が大好きだったし、私としても、家族が離れることがさみしいとか悲しいという気持ちは全くなかった・・・と思ってました。

 

祖父母との3人生活がスタートし、それはそれは窮屈な毎日でした。

軍人上がりの祖父は、メチャクチャ厳しく、うるさい。

今まで勉強さえしていればすべてが許されていたルーズな生活だっただけに、箸の上げ下ろしから、お風呂の入り方まで・・・・・口出しの嵐。

 

でもこれも時代のせいか、祖父には逆らえない空気が充満していたので、窮屈ではあったけど、特に反抗するようなこともなく・・・・

 

祖父が厳しい人だったので祖母は我慢我慢の人。

 

祖父と私の間に入って、かなり苦労させたようです。

間に入って…といっても、対立していたわけではなく、

 

例えば朝起こされて、

「起きる」

と言ったのに、1回では起きてこない。

 

‥という、私にしてみれば、そんなたいしたことではない。

 

子供の立場だけでなく、母となった私も、何回起こしてもギリギリまで起きない我が子に毎朝イライラしていたけど、そんなことでわが子の将来を絶望したことはない。

 

つまり、私の「いい加減さ」と、祖父の「ねばならない。さ」に挟まれて、全部自分が悪いと思ってしまう祖母がどんどん落ち込んでいって・・・・

 

結局高1が終わったところで、私も大阪の高校に転校することになりました。

 

今世代が変わって、祖母たちの歳に近づいて思う事は、

思春期の孫との同居は、確かに、しんどかっただろうな・・・・・

という事です。

 

この辺りから、家族だからと言って何でも許し合えるってわけじゃないんだ・・・・

と学びました。

みんなそれぞれ自分の価値観で生きている。

折り合う‥という事は、もしかしたら、我慢するという事に繋がるのかもしれません。

あとは人間(器の?)の大きさでしょうね。

 

 

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