1956年3月8日誕生:3月なのにドカ雪の降った日、父が天気にあわせて「雪子」と命名提案をしたがあっさり却下される。
父は第一子誕生の日が以降の人生、まったく意見が通らない記念日となったらしい。
3歳:当時は珍しい3年保育の幼稚園に入園するも、激しい登園拒否の毎日だったらしい。
原爆で一瞬のうちにすべてを失った母は「何があっても、誰からも取られないもの」を子供に身に着けさせようと、ありとあらゆるお稽古人生がすでに始まったらしい。
6歳:広島市立牛田小学校に入学、3月生まれのため全てに劣っていたらしい。
小学3年生:そろそろ頭角を現し始めるも,№1にも№2にもなれず、以降6年生まで常に3学期の学級委員に選出される。
母が無謀にも中学受験をもくろみ始める
小学6年:人生の中で一番勉強をした時期。その甲斐があって、本来なら絶対合格しない進学校に合格。
中学入学と共に、劣等生人生が始まる、が、良き先生に恵まれ、そこそこまで伸びる
中3の春:突然父の大阪転勤が決まり、6年間一貫教育の学校に行っていたので高校受験の準備が出来ず、同居の祖父母と共に一人広島に残る。
高2:大阪の高校に編入、万博会場の近くに住む両親弟と合流
高3:進学校に行っていたため、勉強をしなくても転校先の授業について行く事が出来、環境になじみやすい私は極端に勉強時間が減り、一気に学力低下
大学入学:母の望む大学には行けず、学費は自分が払うと啖呵を切って、バイトをしながらの大学生活。
とにかく楽しかった4年間。
22歳:大学卒業、当時女子の4大生は就職氷河期。
女性はクリスマスケーキと言われていた時代なので、22歳で入社して、2~3年で寿退社されたのでは元が取れない・・・と就職先すらなかった時代だったのでさっさと永久就職(死語)をする。
22歳:最初の妊娠で流産を経験する。
それまで、自分の意志と努力で、たいていの事は手にしてきただけに、自分の意志ではどうにもならないことと、人生は計画通りに行かないという事を思い知らされる。
子供が欲しかったので仕事はせず、暇を持てましたので、子供のころからずっとやっていた音楽を趣味に‼!と思いエレクトーンを習い始める。
24歳:第一子(長男)出産
趣味で始めたエレクトーンが当時大ブームで講師不足、
ピアノの経験があったのであっという間に講師資格取得と同時に、自分の強い意志ではない所で生徒を持たされる。
27歳:第2子(長女)出産
エレクトーンの生徒は持っていたものの、気分は専業主婦。
29歳:長女、死去
朝元気だった子が夜突然亡くなり、何が何だか現状を理解できなかった。
どうも肝臓に問題があったらしい。
30歳:次女出産
31歳:エレクトーンの仕事に順調に伸びていき、充実はしていたが、次女に長女と同じであろう病気が発覚。
不安と恐怖でパニック障害になるが、当時は、やっと自律神経失調症というワードが一般的になった時期で、パニック障害という病名はまだなかった。
医者から、これで死ぬことはない、治す薬もない、と言われ、だったら自分で治す、と根性で治した。
次女の病気もある日突然治り、医者が信じられないことが起った・・と。
33歳:色々あって離婚
38歳:色々あって再婚。と同時に夫独立、有限会社を立ち上げる。
45歳前後:母が西洋医学では治せない病気になったのをきっかけに東洋医学の勉強を始め整体師となる。
リーマンショックのあおりとやらで、夫の会社の状況が厳しくなり始める。
一時は倒産か?と覚悟したとき、自分の仕事は持ち家で、ある条件のもと(防音、生徒の通える地理条件)でしか成り立たないことに気付き、家を守るため(自分の仕事を守るため→収入確保)に倒産を避ける術を探す。
結局家だけを残して会社を整理。
50にして貯金0、夫失業状態。
それと並行して、体一つでできる整体を生業に…と考えるようになる。
50歳:長年「教える仕事」をしていたので、施術より教えることに魅力を感じ、プロ整体師養成講師となり、今迄に50人以上のプロを排出。
60歳:本当の健康は身体だけではなく、心の安定も必要、そして、「場」が整えっていることも必須と感じ、東洋思想で繋がる風水を勉強。
同時に、ティーチャーの資格まで取る。
所属する「アロマ風水®」で中心的な存在になりつつ、整体のオリジナルコンテンツをまとめ上げ、「香りの五行整体」を立ち上げる。
63歳:整体、風水、四柱推命、九星気学を融合させた「三位一体開運整えプログラム」を作る。
独自のメソッドなので、全ての協会からはなれ、創始者として活動を始める
64歳:突然のコロナ禍。仕事のやり方だけでなく、生活、価値観全てが大きく変化。
対面の講座、整体業はほとんどできない状態となり、逆にそれがオンライン化のチャンスとなる。
風水などの講座を全国展開、直接施術できなくなった整体は「セルフ整体健康講座」の誕生のきっかけとなる。
67歳:コロナがやっと終焉を迎え、三位一体開運整えコンサルタントとして、再スタート