【プロフィール】人生の棚卸2(~小学生時代)

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私の知人の中には、2歳や3歳のころの記憶がある人が大勢いらっしゃいますが、
私は小学校2年生くらいまでの記憶がほぼありません。
写真や親の話から、こういう風な子供だったんだ・・・・と認識はありますが、
お花見に行ったとか、お祭りに行った‥という事実は写真で残っていても、私の記憶にはありません。
母が家で洋裁の仕事をしていたので、幼稚園も、当時には珍しく3年保育でした。
早生まれも手伝って、3歳になったとたんに集団の中に入れられたようですが、楽しかったのか嫌だったのか、
先生の事が好きだったのか、誰か仲良しのお友達がいたのか・・・・
全く分かりません。
母に言わせると、とっても頑固な子供だったようで、
「幼稚園に行かない!!」と駄々をこねる私に
「じゃあ、幼稚園バッグを捨てて家に帰りなさい!!」
と怒る母に
待ってましたと言わんばかりに幼稚園バッグを投げ捨てて一目散に家に帰った
・・らしい。
など、なかなかの頑固っぷりだったようです。
小学校の入学式の記憶も全然ありません。
運動会も、遠足も・・・・・
これって・・・異常なのでしょうか?
3年生になったころからの記憶はあります。
当時は学級委員制度があって、私はいつも3番手。
3学期に学級委員に選ばれていましたが、勝気な母は、それが気に入らなく、1学期か2学期に選出されたかったようですが、残念ながら母の願いはかなわず3年から6年生までずっと3番手でした。
…ここまででお分かりのように、母はかなりの教育ママでした。
小学校の間で習っていなかったのはそろばんとバレエくらいでしょう。
(当時は水泳教室・英語教室はありませんでした)
ピアノはもちろんの事、習字、絵画、歌、そして進学塾なんかにも通っていて、1週間、全部お稽古事で埋まっていたのは、当時は珍しい事だと思います。
そんなにお金をかけてもらったのに、何も「モノ」になっていないことも母には腹立たしい事のようです。
仕方ないよね、本人にやる気がないんだもの・・・・・
原爆で一瞬にしてすべてを失った母にしてみれば、誰からも奪い取られることのない「力」を付けさせたかったのだと思います。
「芸は身を助ける」とよく言われていました。
当時大嫌いだったピアノでしたが、最終的にはそれが仕事として成り立ったので、「芸は身を助ける」という母の言葉は現実となったのかもしれません。
次回はいよいよ、私が今までの人生の中で一番勉強をした時期、中学受験の棚卸です。
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